序章 終

―――生きていれば死ぬ。そんな当たり前なことを自覚したのはいつのことであろうか。
鼓膜まで響く鼓動の音に顔をゆがめる。体中に感じる痛みに顔を歪めて肩を震わせる。痛い、足に感じる鋭い痛みに涙を零しながら泣く子供の悲鳴が雨の中に消える。深夜の交差点、鳴り響くクラクションの音とぐしゃりと形をかえた車が横転した助手席から流れる血の匂いがいつまでも消えない。母さん、父さん。声をあげてよんだその声に返答してくれないと気づいていたのに。







       ※※※



「―――めっちゃ助かったよ、ありがとうな!!!」
「どういたしまして」



金髪野郎は嘘をついていないらしく、本当にワインの味が分かるらしい。
店員へ色々と質問をしながら、おばさんの好みに近い味を選んでくれたその銘柄を手にした俺の機嫌はすこぶるいい。少しお茶でもしていかない?そう誘われた俺が即座に首を縦にふるのも無理はない。完全にいい奴ポジションになった男の後ろをほいほい着いていく姿は犬のようだろうか。いやー、イイ買い物したなあ。そう笑みを浮かべながら、男が案内するカフェに着席をして運ばれたアイスカフェオレを飲む。


「―――ところでそのワインは誰へのプレゼントなの?」


頬杖をつきながら問いかける男の言葉に、ストローから口を離す。


「―――おばさんに」
「……へえ」
「そう、俺さ。15のときに両親交通事故で亡くしているんだけど。孤児になった俺を引き取って育ててくれた人なの」
「……」
「……こうやって店を経営しているのもおばさんがちゃんと俺を育ててくれたおかげなんだよね」



冷え切ったシーツの上で眠っている自分を見下ろす顔が母とうり二つであると気づきながらも、もうこの世に両親がいないもどかしさに俯いた自分の頭を。
優しく抱きしめてくれた彼女の温かさを思い出してそっと唇を緩める。
両親の分まで、しっかりと恩返ししないとと呟いた自分の前でにっこりと笑みを深めた男の唇が開く。



『―――おばさんって、誰のことだい?』



淡々と話した声に、目を見開く。じっと見つめる琥珀色の瞳に浮かぶのは疑問符だ。



「いや…さっき説明したじゃん。俺のこと育ててくれた人だって」
「…君は15のときに両親を失っていると言ってたよね。」
「…ああ」
「…でも君の亡き両親は一人っ子できょうだいがいないはずだよ。親も早く亡くしていると聞いている…君を育ててくれる人は身内でいなかったはずだ。それに俺はあの家で君しか気配を感じなかった、誰もあの家に出入りしているのを見ていないよ」



なんの話をしているんだこいつは。頬を流れる汗に気付かないふりをして目の前の男をにらむ。大切な家族への酷い言い方に腹の奥がじわりと怒りを潜める。



「―――悪い。あんたには関係ない話をして悪かったな。帰る」
「―あ、真白…話の続き…っ」



小銭をテーブルにたたきつけ、足早に店内を後にしていく青年の姿を眺めて嘆息を零す。
どうやら怒りのスイッチを押してしまったらしい。明らかに足りない料金に肩を竦めながら目をハートにして自分をみる店員を手招きして呼ぶ。お会計お願いできるかな?そう笑みを零せば、はい!ただいま!と慌てた様子でレジ担当の男の子を押しのけるのだから、気前がいい。それにしても。


「―――短気みたいだな、あの子は」



ありがとうね、そうお礼をいえば、黄色い悲鳴が店内であがったような気もするがいつものことである。お金を支払い店を後にした彼の声が諦めににた色を潜める。
耳朶で揺れる金色のイヤリングが光ると同時に歪んだ空間へと消えていく彼を目撃した人は誰もいない。





    ※※※




最悪最悪最悪、性格悪すぎだぞあいつ。頬を膨らませながら、家へと足を運んでいた真白の眉根は近寄ったままだ。店の戸を開けようと鍵をあけた瞬間、空いている戸に目を見開く。ただいま、中に入ればおかえり~と二階から声が聞こえるのだからやはり我が家はいい。プレゼント用にと購入したワインをそっと食堂の隅に隠して、住居となる二階へ進む。



「……おばさん、帰ってくるの早かっ」



真っ暗なリビングに首を傾げながらも、そっと足を踏み入れた彼の視界に入ったのは居間に座ったまま、自分を見る彼女の姿であるが。思わず言葉が止まったのは、その目が真っ赤に染まっていたためであろうか、。真白、今日誰と会ってたの?問いかける声にノイズが入っている声の感覚に一歩下がる。


「…おばさん、だよね?」
「私の顔忘れたの?」



ギギ、視界が歪む感覚に目を擦ってみるが景色は変わらない。
おばさんって誰?問いかけた男の声が頭の中で蘇る。まさかこんなのはない、夢だと。
ゆっくりと立ち上がるその手にある銀色のそれに気づかないふりをしたい。



「―――15年前のあの日、本当は真白、あんたも殺す予定だったの」
「……え……」
「―――でも私の気まぐれであんたをここまで育てちゃって。まあ、このまま一緒にいるのも悪くないと思っていたのに、あんたがあいつらと接触していると知ったらこのまま生かしておけない」



だからしんでくれない?いつもに笑みで笑う彼女の手が両親が残してくれていた包丁を振りかざす瞬間、閉ざした視界で甲高い金属音が響く。ゆっくりと見開いた景色にある金髪と黒い煙をたてながら崩れ落ちる影。



「―――危なかったね、真白」
「…あんた…どうやってここに」
「それは秘密」



それより、ちゃんと話してしたほうがいいと思うよ。そう指さした場所でうつぶせに倒れている彼女の姿に慌てて、かけよる。切られたはずなのに血ではなく黒い煙が出るその姿に唇を噛みしめる。人ではなかった、そのショックが頭の中を揺さぶる。



「……ましろ」


優しく呼ぶその声に、どさりと膝をつく。母親の顔に似たその顔が苦痛に歪むだけで胸が痛いのに。



「……なんで」
「…」
「…なんで嘘ついてたんだ。」
「……話せるわけないでしょ。あんたの父さんと母さんを殺したから私はここに居ることができた。私は、誰かの人生を犠牲にする上で自分をこの世界にとどめることしかできないの。この顔も仮初、あんたの母親の妹という枠組みを与えられただけに過ぎない」
「俺のことを……なんで育ててたの。すぐに殺せたんじゃないのか」



震える声で問いかけた言葉に、再び瞳を細めた彼女の掌が頭をなでる。
一人ぼっちになった自分に家族になってくれると笑ったその時と同じ掌でなぞる温かさに唇を噛みしめる。



「―――仕方ないじゃない。あんな風に泣いている子供を一人にできるほど私が完璧にできていなかっただけ」
「………」
「……真白、ごめんね。」



黒い霧となって消えたその感触に、体を丸める。たった一人の家族であった彼女を失ってどうやって生きていけばいいのだろうか。なぜ、こんなことになったんだろうか。
零れ落ちる水滴が床に滲む、その姿をじっと見つめる男の足がそっと自分の傍へ近寄る。



「…真白」
「―――っ」



鼓膜に触れた声に、立ち上がって男の胸倉をつかむ。上乗りになり見下ろした先で自分を見つめるその目は静かである。


「―――やめたほうがいい。君のおばさんは、罪人であり、この世に存在しない魂であった。それは変えられない事実だ」
「……うるさい……」
「……15年前、君は両親と死ぬ運命であった。その運命をかえたのは彼女だ」
「……黙れ」
「……彼女は不完全な罪人であった。傷つき、生きる意味を見失ったきみをみて守ってあげたいとそう願ってしまった。哀れな罪人【フォーリー】の一部だ。」
「…黙れっていって!!!「だが、彼女が君に与えたのはまごうことなき愛だったのだと俺は信じてるよ」」



柔らかく響く男の声に、度が合わない眼鏡をかけたように視界が滲む。
辛い思いをさせてすまない真白、そういって抱きしめるその温かさに唇を噛みしめる。
まだ思春期真っただ中だった自分のために弁当を作ってくれたのも、はじめて店を出したいと伝えたときに金は心配するなと笑ったその顔も、一緒に料理を作って同じテーブルでご飯も食べたのもすべてまやかしではないと、そう優しく頭をなでる掌に嗚咽が零れる。
冷え切った家の中、重なる二つの体温が感じた痛みは消えない。






※ ※ ※



「……で、あんたはこれからどうするの」



泣きつかれて寝落ちた自分が目覚めたのは金髪男の腕の中だったのだから最悪な目覚めである。お茶でもどうぞ、と差し出されたそれを嬉しそうに受け取る男の顔は清々しい。


「…また新たな罪人を探しに違う場所にいくよ。そろそろ時間みたい」
「……そうか」



1人ぼっちになった家に一人きりは寂しいと、冷え切った家を眺めていた真白の目が捉えたのは。おばさんと一緒に映ったはずの写真が全て1人きりで映っている光景である。おばさんは、もうこの世にいない、それを改めて感じる現実に唇を噛みしめる。もしも自分のように、傷ついている人がいるのであれば、俺はどうするだろうか。目の前で湯気をたてるお茶をみながら自問する。



「……真白?」
「……なあ、あんたはおばさんみたいなこの世にいない罪人をさばいているっていってたよな」
「……うん、そうだよ。…新たな犠牲者を増やして成り立つなんて傲慢な考えでしかないと俺は思っているからね。」



じゃあ、長居しちゃってごめんね。真白。そう言って立ち上がった男の背後の空間が歪む感覚に目を見開く。元気でね、笑いながら振り返りゆっくりと歩みを進めるその背中を掴む。え、と目を見開く彼が見せた初めての表情に驚くのも束の間、二人の人間が歪んだ空間に消える。ふたつそろっているお茶は湯気をたてたまま、再び新たな罪びとを探して消える二人の物語はここよりはじまる。



次の章へ続く