序章①

規則正しいリズムがキッチンに響く。油を引いているフライパンに入れた瞬間、じゅうと鳴り響く音を聞きながら野菜を炒める。味付けに調味料を入れて、さらにうつすその動作を目の前でじっと見つめる男の視線にも気にならないのだから慣れとは恐ろしいものか。
閉店まじかに訪れる彼がいつも注文する料理は「なんでもいいよ」という適当なものであるのだが、プロである以上ちゃんとしたものを出さねば気がすまないのが性分である。
即効で作った八宝菜を目の前に置いた瞬間、琥珀色の瞳が見開くのも見慣れたものである。



「―――これはまた不思議なものが出たね」
「……それ食べて早く帰れよ。」



一週間連続、22時閉店まじかこの店に21時50分に滑り込むこの客の対応も冷めたものであるが仕方ない。いただきます、綺麗な動作で箸を使って食べるその顔立ちは整っている、イケメンである。金髪でイケメンで女性が黄色い悲鳴をあげそうなタイプである客が目の前にいるという情報だけでよかったのに、ご馳走様。丁寧にあいさつする彼の目がじっと自分を見つめるそれにぞくりと震えたのは武者震いだろうか。



「――――さて、今日こそ僕のお嫁さんになってくれないかな」


綺麗な所作でコップを傾けて、にっこりと笑うその顔に。眉根をしかめて、食べ物一つ残さず平らげた皿を回収する。なにが嫁さんだ、俺は男だって何回いえばいいんだ、こいつは。身長が低いせいか、子どもに見られることが多いが、女にみられたことはないこの30年。初対面で一目ぼれなんだが、と真顔で囁いてきたそれに顔を青ざめさせたのは無理もない。嫌です、きっぱりと断った俺の反応にますます笑みを深めたかと思いきや、誰も人がいない店に足を運んでは愛を囁くのだから迷惑ものである。



「―――他あたってください。俺、忙しいんで」
「…まるで黒曜石のような君の黒髪に触れたい」
「話聞いてねえな、あんた」
「…そのありふれた顔立ちも俺の好みなんだ。」
「どうせ俺は平凡な顔立ちだよ!!」



終わりの見えない会話のキャッチボール。同じようなことを繰り返しながら、再び熱視線を送ってくる男の行為にため息をはく。二階建ての古びた建物の一階は亡き両親が切り盛りしていた昔馴染みのある食堂である。食堂の奥、階段を登った先にある小さなリビングに飾られた写真で笑う両親の顔を思い浮かべながら、痛みを感じた頭を押さえる。いつか可愛い嫁さんを貰って家族でこの食堂を繋いでいこうと、そう決意した過去。あの頃の自分は想像することもなかったはずだ。カウンター席で頬杖をついて自分をみる色男に振り回される日々が訪れることを。これは、消滅した未来物語を知る1人の男の話である。